酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

日本酒と猫、そして時々は横浜情報を織り交ぜつつ。。。

酒米の世界の長老「雄町」にまつわる物語①

今までにも酒米の記事をいくつか書かせていただきましたが、今日は150年以上も前から存在する最も古い酒米「雄町」の話をさせてください。

 

酒米の二大トップと言えば「山田錦」「五百万石」、そしてその二つを追いかける酒米が「美山錦」になります。それらに比べると生産量としてはとても少ないのですが、忘れるわけにはいかない酒米が「雄町」です。

 

「山田錦」「五百万石」「美山錦」については、コチラに書いています。

酒米の王様「山田錦」のルーツ① - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

酒米の王様「山田錦」のルーツ②、、、とゆうか「渡船」のこと - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

日本各地に広がる「山田錦」の子孫たち - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

 

酒米「五百万石」にまつわる物語 - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

 

酒米「美山錦」にまつわる物語 - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

 

 

今日は「雄町」にまつわる物語です。

実は「雄町」は一時期、ほとんど生産されなくなっていました。しかし最近はまた、日本酒ファンの間で注目を集めているそうです。

 

酒米の中でも最長老の「雄町」にまつわる複雑な物語をお伝えしましょう。

 

最も古い酒米「雄町」

現在栽培されている酒米は100種類ほど、その中でも一番古い酒米は「雄町」になります。品種登録されたのは1866年(慶応2年)で、なんと江戸時代なんです。

 

酒米の世界にも流行り廃りはあります。昔は人気で生産量も多かった酒米が新品種にその地位を奪われて、 やがて「幻の酒米」と言われるようになってしまうことはよくあるのです。

 

そんな中で「雄町」は、150年以上も第一線で活躍しています。その間に生まれた新品種なんかに負けることなく、やっぱり「雄町」じゃないと良い日本酒が醸せないと認められてきたってことですよね。すごいです。

 

ただ現在は人気の「雄町」ですが、ずっと順風満帆だったわけでもありません。昭和40年代には生産量が激減し、幻になりかけたこともありました。しかしその後、見事に復活したのです。

 

では「雄町」はどうやって誕生したのでしょう。

 

偶然見かけた2本の稲穂から、、、「雄町」誕生の秘密

「雄町」のルーツは、旅先で偶然見かけた珍しい2本の稲穂にあります。

 

1859年(安政6年)、備前国の高島村雄町(現在の岡山市中区雄町)に住む岸本甚造さんは伯耆国(現在の鳥取県)の大山へ参拝に出かけました。その帰り道に普通よりも重たそう稲穂をつけた、珍しい品種を発見したのです。

 

岸本さんはその稲穂を2本譲ってもらい、雄町の自宅に帰ってさっそく栽培を始めました。毎年、育った稲穂の中からより良いものを選抜するという作業を続け、1866年(慶応2年)にはこの新種に「二本草」と命名して品種登録をしました。

 

やがて世間には、高島村の雄町に良い酒米があるらしいという噂が広まります。わけて欲しいという農家も多く現れ、だんだんと岡山県南部辺りで栽培されるようになっていきました。そしてお米の名前も、地名から「雄町」と呼ばれるようになっていったのです。

 

明治21年には岡山県内で広く普及して、さらに他の県へも広がっていきました。明治41年には岡山県の奨励品種になっています。

 

1921年(大正11年)には岡山県農業試験場で純系分離され、現在栽培されているものはこの系統のものになります。

 

「雄町」なければ品評会で上位入賞も不可能

「雄町」は主食用として流通していたのですが、酒米としての評価もとても高いものでした。各地の酒蔵から「岡山県産の雄町」は最高の品質だとして認められていました。

 

昭和初期の品評会では、「雄町」で醸した吟醸酒でなければ上位に入賞することは不可能だとまで言われました。「山田錦」が現れる以前の品評会では抜群に強かったそうです。

 

この頃、酒米としての品質でもまた生産量の面でも、「雄町」はまさにトップに君臨していたのです。

 

雄町の遺伝子を受け継ぐ子孫も誕生

酒米として優秀だった「雄町」は交配種としても使用され、各地で「雄町」の遺伝子を受け継ぐ子孫たちも誕生しました。

 

「雄町」の子孫については、後でいくつか書き出していきたいと思っています。全品種を書き出すことはできません。なんと、今ある酒米の約6割に「雄町」の遺伝子が受け継がれているそうなのです!

 

すごくないですか!?

 

現在の酒米の王様は「山田錦」と言えると思いますが、その「山田錦」にも「雄町」の遺伝子が受け継がれています。

 

「山田錦」は1936年に、「短稈渡船」と「山田穂」の交配によって生まれた品種です。実は現在、「渡船」は「雄町」と同一品種とされています。

 

「渡船」=「雄町」についてはコチラの記事にも書いたのですが、、、

酒米の王様「山田錦」のルーツ②、、、とゆうか「渡船」のこと - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

 

明治の半ばごろ、滋賀県の農業試験場は福岡県から「雄町」を取り寄せました。その種もみを琵琶湖の船上で水洗いしていて、名称を書いたラベルを落としてしまいました。で、仕方なく便宜的にその品種は「渡船」と名付けられたというのです。

 

やがてその「渡船」を使って交配が行われ、誕生したのが「山田錦」でした。

 

 

 

 

 

 

というわけで、途中なんですが続きは明日にさせていただきます。

いろんな本やネットで見つけた情報を、私なりに書かせていただきました。

読んでいただき、ありがとうございます。

 

明日もまた、来てくださいね^^//

 

 

 

にほんブログ村 酒ブログ 日本酒・地酒へ
にほんブログ村に参加しています。ぜひクリックをお願いします。