さて『酒米のルーツを探る旅』シリーズです!
なんてね^^
「記憶の彼方に忘れられたルーツを探る」って言葉、ときめきますね〜
そうでもない?!
「酒米のルーツ」なんて誰か専門の人(?)が書いていそうな気もしますが、で、私みたいな素人が書いていいのか迷うところですが、、、でもさぁ〜、私が知りたいから調べて、調べた結果をブログにも書いていくことにしました。
調べると言っても、ネットと限られた本からだけなんですが。。。
だれかぁ〜、興味持って覗きにきてくださいね。
あ、「シリーズ」って書きましたが、たぶん4回くらいだと思います。しかも連続では書かないかな、飽きるから^^;
酒米の王様「山田錦」
「酒米のルーツ」シリーズ、第一回はやっぱり酒米の王様とも言える「山田錦」です。
酒米っていろいろな品種がありますが、「山田錦」と「五百万石」とが作付け面積の60%を占めているそうです。(ちなみに酒米の生産量はお米全体の生産量の2%程度なんだとか、、、少なっ!)
山田錦と五百万石の作付け面積については、毎年トップ争い状態です。2000年までは五百万石が長年トップだったのですが、2001年に逆転し山田錦がトップに立ちました。その後また五百万石にトップの座を奪われたのですが、数年後に奪還し現在(2017年調査まで)は山田錦がトップです。
そんな山田錦が生まれたのは1923年(大正12年)。五百万石が生まれたのは1938年(昭和13年)ですから、山田錦の方が10年以上も先輩になります。
ちなみに”生まれた”というのは”交配された”ということです。
(交配されてから実際に新たな品種として認められて登録されまでにはだいぶ時間がかかります。山田錦が品種登録されたのは1936年(昭和11年)、五百万石の品種登録は1957年(昭和32年)です。)
山田錦の両親を紹介!
山田錦は1923年(大正12年)に交配されて誕生しました。母親は「山田穂」、父親は「短稈渡船」です。
(母親となる品種のめしべに、父親となる品種のおしべの花粉をかけて交配し、新しい品種が生まれます)
出生地は兵庫県。現在の「兵庫県立農林水産技術センター」が両親の品種を交配し、誕生させました。今、山田錦は全国で生産されていますが、現在でもその出荷量の6割は兵庫県産です。
実際に人工交配を行なった方は西海重次さんという方なんだそうです。その他たくさんの人たちの努力によって酒米の王様「山田錦」が誕生したんだと思いますが、、、すごいですよね、交配している時点ではまだうまくいくか、優秀な酒米が生まれるか、全くわからなかったワケで、でもその時の交配のおかげで80年以上経った今も酒米として第一線に立ち美味しいお酒をつくってくれているんだから!
1931年(昭和6年)に「山渡50-7」の系統名がつけられて、1936年(昭和11年)に「山田錦」と命名されました。そして兵庫県の奨励品種にも指定されています。
命名の由来は母親の品種「山田穂」からの「山田」と、この当時稲の品種によくつけられていた「錦」を組み合わせたものです。実は「昭和」にする案もあったようですが、最終的にボツになったそうです。
山田錦の特徴は?
山田錦は次のような特徴を持っています。
- 晩生(おくて) 収穫までに時間がかかる品種で10月半ば頃にやっと収穫ができる
- 130cmくらいまで成長する長稈品種 稈とは稲の茎で、長稈(ちょうかん)とは茎の長い品種のこと
- 耐倒伏性は弱い 収穫ができる状態になる前に稲穂が倒れてしまいやすい
- 耐病性も弱い 病気にかかりやすい
- 大粒で心白発現率は80%弱
- 千粒重(1000粒での重さ)は27〜28g
- タンパク質含量は少ない
心白は大きければ良いというわけでもなく、その形状なども大切です。「線状」「眼状」「菊花状」など分類されるのですが、「線状」の心白が酒造りには一番向いています。
そして山田錦の心白は線状なのです。そのため高精白にも耐えられます。
線状の心白は精白すると心白の位置が偏るため、部分的には露出してしまうこともあります。しかしこのように心白までの距離が不均一になるほど、酵母の作用速度をコントロールしやすくなって良いそうです。
線状の心白を持つ品種は限られていて山田錦の両親の「山田穂」「渡船」の他、「雄町」「強力」「穀良都(こくりょうみやこ)」「総の舞(ふさのまい)」など少数です。
山田錦を親として交配した品種でも、線状の心白が遺伝することは難しいようです。
このような特徴があるおかげで、山田錦は80年以上もの間、酒米の王様に君臨し続けられたのでしょう。
農家にとっては、山田錦は決して育てやすい品種ではないそうです。稲穂が倒れやすくて病気にもかかりやすい、収穫できるのは10月半ばで時間がかかり台風などの被害に遭ってしまう可能性も高い。
ただそれでも酒米としての評価は高いため、農家の方々は頑張って育ててくれているのでしょう。
母親の「山田穂(やまだほ)」について
では、母親の「山田穂」についても見ておきましょう。
山田穂がいつ生まれたのかについてはよくわかっていません。品種登録がされたのは1877年(明治10年)頃とされています。
山田穂のルーツについては3つの説があります。
1、兵庫県美嚢郡吉川町(現・三木市)の田中新三郎さんが伊勢参りへ行った際、伊勢山田で見つけたという穂を持ち帰ってきた。それを試作したものが山田穂の始まりとなった。
2、兵庫県八部郡山田町(現・神戸市)の東田勘兵衛さんが、雌垣村(現・大阪府茨木市)である種子を手に入れた。その種子からは大粒で良質な酒米が育ち、1890年の第三回内国勧業博覧会で日本一をとった。そこで地名から「山田穂」と呼ばれるようになった。
3、兵庫県多可郡中町(現・多可郡多可町中区)の山田勢三郎さんが明治初期、自分の田んぼに優良な株を見つけた。それを選抜したものを、山田の姓をとって「山田穂」と名付けて出荷した。この説が一番有力なのだそうです!
山田穂の特徴は、、、
- 晩生
- 長稈(山田錦より約10cmほど高い)
- 耐倒伏性は弱い(ただ茎が非常に硬いため、倒伏率は山田錦と同じくらいとの話もあり)
- 山田錦よりやや小粒で心拍発現率は低いが酒造特性は良い
実は山田穂は、山田錦を生み出した後で姿を消してしまい「幻の米」になっていました。これは子供の山田錦が非常に優良な酒米だったこと、また山田穂は山田錦より育てにくいこと、同じように育てても山田錦の方が量が多く収穫できることなどが原因と考えられています。
優秀な子供ができて、やがて親が姿を消して行く、、、なんか、切ないです。
ただしこの山田穂、最近、密かに復活を遂げています。兵庫県の白鶴酒造さんなどで、再び生産されるようになってのです。そして白鶴酒造さんでは、山田穂を使って醸した日本酒も発売されています。
さらに山田錦の父である渡船と山田穂を再び交配して「白鶴錦」という新しい品種も生み出されました。「白鶴錦」はつまり、「山田錦」の兄弟と言える品種なのです。
長くなったので、今日はここまでにします。
また山田錦の続きを書きますが、、、明日じゃないかな。
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