酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

日本酒と猫、そして時々は横浜情報を織り交ぜつつ。。。

藤原定家が【明月記】に記した客星の記録

こんにちは、ばくです。

 

一昨日のブログに書いた「にゃんカレトーナメント」の結果が出ました。

結果は残念ながら敗北。。。

でも111票も入っていたそうです。

 

投票していただいた方々、ありがとうございました。

 

友達の友達からのコメントが、友達から送られてきまして、

ん、ややこしい?要するに、飼い主さんからのコメントね。

 

『残念なことに、大差をつけられて負けてしまいましたが、

りるの投票数が111票と縁起が良くて嬉しかったですw

 

コメントも沢山、本当にありがとうございました。

負けてしまいましたが、りるが可愛い事には変わりないので、

最後に参加できて記念になりました。

 

ありがとうございました〜』

 

 

アンダーラインは私が引きました。

「りるが可愛い事には変わりない」は猫飼いさんならあるあるだよなぁと思って^^

 

昨日の19時半頃に途中経過を見んですが、

その段階では勝っていたので、

「これなら勝てる」

と思ってました、、、が、残念です。

 

 

さて、今日はまた「明月記」に記された星のお話を。。。

 

 

一応、コチラからの続きものです。

 

 

 

これまでの流れを簡単に、、、

「明月記」は鎌倉時代に藤原定家が書いた日記です。

定家が19歳の時から56年間書き続けていたもので(56年も日記が続くなんて!)、この時代のいろんな出来事が記録されています。

 

まぁ日記といっても私の書くような日記とは意味合いが違って、子孫に儀式のこととか大切なことを伝えるためのものです。

 

その中には夜空の星の異変なども書かれていて、書かれた内容を現在の天文学で調べていくと、本当にその時の異変の痕跡が見つかったりするんです!

 

この前は超新星SN1054の爆発により生まれた「かに星雲」のことを書きましたが、「明月記」には他にも超新星の記録が残っています。2019年に「日本天文遺産」っていうものにも選定されているそうです。

 

「明月記」ってすごい!

ってか、藤原定家ってすごい!

今まで歌人としての一面しか知りませんでした。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

目次

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1230年、客星が現れる!

1230年、定家が69歳の時、客星が現れました。

客星というのは普段はないはずの場所に一時的に出現した星のことです。超新星・新星・彗星などのことを言います。この時は彗星でした。

 

定家は客星の出現に驚いて日記(明月記)に書き、知り合いの陰陽師の安倍泰俊に話を聞いたりしました。

 

安倍泰俊は、あの安倍晴明の子孫、5、6代くらい(?)後の人です。

「晴明」「陰陽師」といえば映画を思い出してキュンキュンして懐かしくなるんですが、、、あれ、若い人に「晴明」っていっても通じなかったりする!?

 

ついでに、「陰陽師」は「陰陽寮」に属する国家公務員の役職名です。天文観測とかが重要なお仕事でした。だから過去の客星の記録とかも持っています。

 

今の時代に彗星や新星が現れたらきっとみんな大喜びで観測しますが、この時代はそうじゃありませんでした。そういうものが現れると、世の中に悪いことが起きると信じられていたんです。

 

そしてこの1230年も、大変な年でした。

「寛喜の飢饉」という大飢饉が発生したのです。

 

少し前から天候不順があって、改元も行われるほどでした。

(悪いことが起きている時には、それが続かないように元号を変えました)

 

それでも天候不順はずっと続き、1230年7月には現在の岐阜県大垣市と埼玉県入間市で雪が降ったそうです!ホントに??

その後も長雨、冷夏となり、大洪水や暴風雨に見舞われたりしました。

 

そんな感じで冷え込みがひどい状態がずっと続いていたのに、冬は極端な暖冬になります。「明月記」にも「冬なのに桜が咲いて麦の芽が出た」というようなことが書かれてるらしいです。

 

その次の年は少し落ち着いたと思っていたら、今度は非常に暑くなり過ぎて日照り続きで水不足となります。

 

こんな天候ですから農作物は全然実らず、やがて食べるものがなくなり、餓死者が多く出ました。

 

定家の家の周辺にも餓死者の死臭が漂ってきたと、「明月記」に書かれています。

 街中のあちこちに餓死者があふれている状態だったのでしょう。

 

1181年にも「養和の飢饉」という大変な飢饉があったんですが、この時以来の大飢饉だったようです。

 

で、ちなみに1181年にも客星が出現しています!

やっぱり客星が現れると悪いことが起きるんでしょうか><

 

「明月記」に記された客星の記録

1230年に客星が出現したことで、定家は過去にはいつ客星が出現しているのか安倍泰俊に聞きます。泰俊は陰陽寮に勤めていますから、そういう記録を調べることができるのです。

 

そして返ってきた答えが、以下の8件でした。

 

  • 皇極天皇 元年(642年)
  • 陽成院 貞観19年(877年)
  • 宇多天皇 寛平3年(891年)
  • 醍醐天皇 延長8年(930年)
  • 一条院 寛弘3年(1006年)←超新星
  • 後冷泉院 天喜2年(1054年)←超新星
  • 二条院 永萬2年(1166年)
  • 高倉院 治承5年(1181年)←超新星

 

この客星の記録は、「明月記」にメモ的な状態で残っているそうです。

 

定家が書いたものではなく、おそらく陰陽寮の役人さんがメモに書いて定家のトコに届けたものを、定家はそのまま日記の間に挟んだと思われます。

 

この8件の客星のうち、3件は超新星爆発だったとされています。そして現代を生きる私たちも、その爆発の痕跡を見ることができます!

 

1006年の超新星は現在、おおかみ座にその痕跡が見られます。

1054年の超新星は現在、おうし座のかに星雲になりました。

1181年の超新星は現在、カシオペア座の3C58という超新星残骸になっています。

 

 かに星雲の話は

平安時代の超新星爆発の痕跡を、令和時代の「かに星雲」にみるロマン - 酒猫ブログ(「酒と猫の日々」改め)

に書いてます。 見てね^^

 

そして残りの5件は彗星だったと考えられています。

 

ちなみに望遠鏡がない時代の超新星の記録は、世界中で7件あるそうです。

「明月記」にはそのうちの3件が載っているんです。

へぇ〜^^

 

1181年の客星出現の時にも大飢饉があり!

1230年、定家が客星を見た年は日本中が大飢饉に襲われました。

で、その前の1181年の客星出現の時にも日本は大変な状態になっていました。

 

この頃は源氏と平家が争っていた時代(治承・寿永の乱)で、日本国内のほぼ全域(東北地方を除く)で、6年もの間ずーっと戦が起きていました。

 

そんな中で1181年、「養和の飢饉」が発生します。

日照りや豪雨、洪水などの異常気象が続いたせいで農作物が全然実らず、大飢饉に陥ってしまったのです。

  

鴨長明の「方丈記」にも、この飢饉の話が出てきます。

「また養和のころとか、久しくなりて覚えず。。。」ってとこです。

むか〜し、そういえば習った!!って思いましたね。

そっか、あの時、客星も現れていたんですね。

 

「方丈記」によると、京都の街中は餓死者であふれていたようです。

京都市中の死者は42300人だったのだとか。。。

 

大変な時代だったようです。

こんな時代に現れた客星、、、やっぱり、客星が現れるとまた悪いことが起きるんじゃないかと思っちゃいますよね。

 

 

「明月記」には天文観測の記録がたくさん

「明月記」には客星の話以外にも、天文現象についての記録がいろいろ残っています。日食、月食、惑星の異常接近、赤気のことなど、天文観測の記録は100件以上あるそうです。

 

「赤気(せっき)」って何?って感じですよね。

「赤気」はオーロラです!

昔は京都辺りでも、オーロラを見ることができたのです!!

 

1200年ごろは地軸の傾きや太陽の異常な活発化などの影響で、日本でもオーロラ観測ができたらしいです。

2003年、2015年にも東北、北海道辺りでオーロラが観れたことあるそうですね。

 

「明月記」では1204年2月ごろの記録として、夜空に赤い光が連続して見えて「山の向こうで起きた火事のようで恐ろしい」としています。

これは日本最古のオーロラ観測の記録です。

 

このような定家の記した天文観測の記録は、現代の天文学にとってもとても貴重なものです。

そんなこともあって、2019年日本天文遺産に選定されました。

 

 

 

 

 今日は長文のブログになってしまいました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 

で、過去にあった客星の記録の中で、

宇多天皇って、出てきますよね。

 

猫好きさん、宇多天皇って知ってますか?

猫好きさんならきっと親近感を持てる天皇なんですよ^^

 

ってわけで、近いうちにツンデレの宇多天皇と黒猫の話をさせてください。

 

 

じゃ、また^0^//