こんにちは、ばくです。
一昨日、オリオン座のベテルギウスが超新星爆発を起こしていずれは消えてしまうかもって話をしたんですが、、、
超新星爆発は、過去に何度も観測されている出来事です。
そしてそんな出来事が、国語の時間に習ったような書物にも書かれていたりするんです!
藤原定家「明月記」に残る超新星爆発の記録
「明月記」って、学生の頃に授業で習いましたよね^^
藤原定家が書いた日記です。1180〜1235年に書かれたとされます。
藤原定家と言えば、「新古今集」や「新勅撰集」とかの撰者だった人ですね。
「小倉百人一首」の撰者でもあります。
って、私はほとんど覚えてなかったですけどね。
今、本を見ながら書いてます。
この「明月記」の中に書かれているある出来事を今の天文学で見直すと、
実は超新星爆発が起きた記録だったんです!
明月記の中に、こんな話が載っています。
後冷泉天皇の天喜2年、(当時の暦で)5月20日から29日ぐらいの夜中の2時前後、客星がオリオン座の東に見えた。牡牛座の角の付近で、大きさは木星ほどだった。
(いろんな本から細切れに引用してます)
これは今の暦で1054年6月19日から28日の出来事だと考えられています。正確に何日だったかについてはいろんな説があるようですが、1054年は間違いないようです。
「客星」っていうのは一時的に出現した星のことです。彗星や超新星爆発がこれに含まれます。現在では、これは超新星爆発だったとされているのです。
ちなみに「オリオン座」とか「牡牛座」とかは、現代語訳されたものです。
もちろん、定家はそうは書いていません。
定家が書いたままの言葉も写そうと思ったんですが、漢字の変換が難しそうなのでパスしました。
客星が出現した場所は、現在で言うところの「牡牛座のζ(ゼータ)星」だそうです。
テスト前に一生懸命覚えていた「明月記」の中に、こんな天体の一大イベントの記録があったなんて知りませんでした。
こういうことを知っていたら、もうちょっと違う気持ちで勉強していたかも^^
藤原定家は見ていない!人から伝え聞いて書いたこと
実はこの天体の一大イベントの記録、定家自身が自分で見て書いたってわけじゃありません。
藤原定家は鎌倉時代初期の人、生没年は1162年〜1241年になります。
さっきの天体イベントがあったのは1054年のことで、定家が生まれる前のことなんです。
実は1230年にも客星が現れるという大事件がありました。これは彗星だったようです。定家はこの彗星の出現に驚き、日記(明月記)にそのことを書きました。
そしてその後で、過去にはどんな客星が出現していたのかを家に出入りしていた陰陽師聞きました。その結果、教えてもらったのが1054年の超新星爆発だったのです。
客星について想いを込めて書いている
今日書いているお話は(お話も?)、ある本からのネタばかりです。
その本については、後で紹介しますね。
その本の中の、本文ではなくコラム欄に、某展覧会で明月記の原本を見たときの話が出ていました。
それによると、明月記は基本的に書き損じた紙の裏に書かれています。この頃まだ紙は貴重なもので、ただの日記を書くのに新しい紙はもったいなかったんです。
そんな感じで日記全体は裏紙に書かれているんですが、客星についての部分だけは新しい紙に書かれています。あきらかに他とは違う書き方で、字の大きさも大きくはっきりしています。
定家の客星に対する気合いの入れようが、ほかの話題とは違うなというのがわかるような見た目だったようです。
そして過去の客星出現について書かれている部分も、またちょっと違いました。こちらも新しい紙に書かれているんですが、他とは違いていねいに箇条書きでわかりやすく書かれています。字体が、今までの定家のとはちょっと違います。
実はここの部分、定家が客星について陰陽寮に問い合わせしたとき、そこの役人が返事として届けた書状がそのまま挟まれたと考えられています。
そんな風に、藤原定家が何を考えながら、どんな状態で書いていたのかなと想いを巡らすと興味深いですよね。
他に、いつ誰が書いたかもわからない「一代要記」という書物にも、同じような客星の話が出てくるそうです。
今日のネタの参考にしたのが、、、
こちらの本です。
これも面白い、わくわくするような内容がいっぱいです。
まだほんの一部しか読んでないけど^^;
今のところの印象としては、星にそれほど詳しくない人でもわかりやすく読みやすい本だなって感じです。
昔の書物に書かれた星の話題、まだまだ書きたいネタがあります。
なので、近いうちにこの続きを書かせてください。
今日はこの辺で、、、
読んでいただきありがとうございました。